【福博今昔通り物語】vol.3 渡辺通り編~博多商人の名に由来

 福岡市の中心街を南北に走る「渡辺通り」。整備に尽力した明治期の博多商人・渡辺與八郎氏にちなみ名付けられました。周囲にはデパートなど商業ビルが立ち並び、九州を代表するエリアとなっています。今回はこの通りにまつわるお話を―。

路面電車が開業 用地取得に私財
 渡辺通りは、福岡市中央区の天神橋口交差点から渡辺通り1丁目交差点までの1.3km。正式な路線名は県道後野福岡線です。この通りは、1911年に開業した「博多電気軌道」の路面電車にルーツがあります。

1961年。右側の道路が渡辺通り。並行して走る西鉄線路の高架工事が進んでいる

1961年。右側の道路が渡辺通り。並行して走る西鉄線路の高架工事が進んでいる

 「博多電気軌道」の設立に尽力したのが與八郎氏。呉服商を経営する傍ら市の発展に力を尽くし、有志と同社を設立しました。私財を投じ用地取得に貢献。田園など道なき所を整備していく状況だったといいます。與八郎氏は開業後に急死。功績をたたえ「渡辺通り」と呼ばれるようになりました。「渡邉與八郎伝」(76年発行)の編著者、橋詰武生氏は「一径すらなかった草田地帯に道をつくり、更にその上に博多将来の発展を一途に希う念願から電車を走らせた先見と慧眼」(原文まま)と評しています。
 69年、福岡市の市制80年記念事業で愛称が「渡辺通り」に決まりました。

屋上に遊園地 マラソンの始発点
 今は交通量の多い渡辺通りも、かつてはのどかだったと言います。通り沿いにあった西日本新聞社の旧社屋の屋上では伝書バトが飼育され、写真フィルムなどの運搬を担いました。通りに並行して走る西鉄大牟田線・福岡駅は61年、高架化が完成。今に続く都市の姿が築かれました。当時通り沿いに建っていた岩田屋デパートの屋上には遊園地も。訪れた思い出のある人もいるのではないでしょうか。

1950年頃。西日本新聞社旧社屋の屋上のあったハト小屋

1950年頃。西日本新聞社旧社屋の屋上のあったハト小屋

1980年。子どもたちでにぎわう岩田屋デパートの屋上遊園地

1980年。子どもたちでにぎわう岩田屋デパートの屋上遊園地

 現在、渡辺通りの天神交差点付近は毎秋、「福岡マラソン」のスタート地点としてにぎわいます。
 100年の時を刻みながら発展してきた同エリア。さらなる発展が期待されます。

2018年。福岡マラソンで、天神交差点付近からスタートするランナー

2018年。福岡マラソンで、天神交差点付近からスタートするランナー

◆~ちょっと寄り道~近くの通り散策◆
「ささのや通り」
 渡辺通りの西側、福岡市中央区今泉地区にあるのが「ささのや通り」です。幕末の歌人・大隈言道(ことみち)が暮らした旧宅「ささのや」跡に面していることから名付けられました。
 この地には石碑が建っていましたが、現在は工事のため一時撤去中。ただ、作品などを紹介するパネルが近くに掲示されています。

ささのや跡の工事現場付近に掲げられた説明パネル

ささのや跡の工事現場付近に掲げられた説明パネル

「因幡町通り」
 同区天神1丁目の商業施設「天神ビブレ」東側を走る100メートルほどの道路には、「因幡(いなば)町通り」という名が付いています。かつてこの辺りが「因幡町」と呼ばれていたため。福岡藩主黒田家の有力家臣、衣笠因幡の屋敷があったことが町名の由来とされています。

中央奥の道路が「因幡町通り」

中央奥の道路が「因幡町通り」

企画・制作/西日本新聞社メディアビジネス局

※情報は2019.5.10時点のものです