超レア!140年前の福岡の新聞が伝えた『西郷どん』最期の戦い1

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、51歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。
140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

西郷隆盛の肖像画(西日本新聞社提供)

西郷隆盛の肖像画(西日本新聞社提供)

そのころ、福岡には新聞=報道機関がなかった

明治10年2月に、『西郷どん』=西郷隆盛=が率いる薩摩軍が決起して、熊本城を包囲。我が国最後で最大の内戦「西南戦争」が始まる。

薩摩軍は熊本城を攻め、明治政府軍(官軍)を撃破して、熊本県北部に軍を進め、福岡や大分方面に進撃する勢いだった。

『西郷どん』が決起したことで、福岡県内の旧武士たちも、反乱を起こして、市街はパニック状態に陥る。人々は、戦争の行方を知りたいと思ったが、知る手立ては伝聞や噂話、遠く離れた東京で発行している新聞を数日遅れで読むしかない。

福岡には新聞=報道機関がなかったからだ。

元県職員が発行した小さな新聞

「筑紫新聞」が発刊したのは、戦争の真っ只中の明治10年3月24日。半紙7枚を四つ折りして綴じこんだ、表紙を含めて14ページ、縦194ミリ、幅133ミリ、冊子型の、とても小さな新聞だった。

発行の中心人物は、筑後の三池藩の藩士の家系にあった森泰(1831~1880年)。廃藩置県後に生まれた三潴県(現在の福岡県の南部)の役人だった森は、「三潴県新聞」を発行した経験があった。その後、三潴県が福岡県と合併、福岡県職員をしていたが、退官して「筑紫新聞」を発行した。

写真は筑紫新聞(西日本新聞社提供)

写真は筑紫新聞(西日本新聞社提供)

人々が知りたいことを伝える

この「筑紫新聞」。戦場に兵士や物資を輸送する起点となっていた福岡の地の利を活かし、行き交う人々、軍人や官僚に取材して記事を作った。

今回「筑紫新聞」を読み解きした久留米大学文学部の大庭卓也・教授と北九州大学文学部の生住昌大准教授の調べでは、当時、地元の九州から西南戦争を報道していた新聞は、福岡の「筑紫新聞」、熊本の「熊本新聞」、長崎の「西海新聞」、大分の「田舎新聞」の4紙だった。

写真は、山形県鶴岡市の松ケ岡集落の家々に飾られる西郷隆盛の肖像画。全国各地に西郷隆盛を崇敬する人々がいる(西日本新聞社提供)

写真は、山形県鶴岡市の松ケ岡集落の家々に飾られる西郷隆盛の肖像画。全国各地に西郷隆盛を崇敬する人々がいる(西日本新聞社提供)

しかし「西海新聞」と「田舎新聞」は大半が散逸している。残る2紙のうち「熊本新聞」は、2月から6月まで「戦禍のため休刊していた。その期間の現地報道を偶然にも担うことになった筑紫新聞は、大半が現存しており、貴重な資料」(生住准教授)という。

ささやかな新聞だが、今日「筑紫新聞」を読むと、「西南戦争」の最中に生きた明治時代の福岡の人々の動きが伝わってくる。

「東京などの中央紙も西南戦争を報じていたが、どこか対岸の火事といった報道だった。筑紫新聞は、戦場となった九州の人々の混乱と不安を含めて詳しく伝えている」(大庭教授)

「西南戦争」の開戦から1ヶ月が経過していた3月、「筑紫新聞」は、この時期の福岡の人々が最も知りたいことを集中的に伝えた。

 ここで第一問。最初なので、まずは易しい問題から。

■筑紫新聞カルトクイズ1■

福岡の人々が新聞で最も知りたいことはなんだったのか。

(1)官軍と薩軍の戦いの行方
(2)日本を取り巻く国際情勢
(3)芝居や歌舞伎などの娯楽

答えは次回!『西郷どん』最期の戦い2 政府軍のピンチで登場した「抜刀隊」

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※情報は2018.6.11時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

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