『西郷どん』最期の戦い3 弾雨の中、トンデモ親子が出現

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、52歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。

140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

【前回の話はこちら▼】
『西郷どん』最期の戦い2 政府軍のピンチで登場した「抜刀隊」

前回の筑紫新聞カルトクイズ2

銃砲弾飛び交う戦場で、ある一家4人が取った驚きの行動とは?
(1)「戦争をやめよう!」と両軍に演説
(2)一家が総出で川から水を汲み続ける
(3)4人揃って前線を横断して山に逃亡

答えは(2)一家が総出で川から水を汲み続ける、でした。

「家が焼けてしまう」一家で防火

「筑紫新聞」第1号によると、「高瀬市中は兵火に罹って火災がおき、官軍の食糧倉庫も被災し米6万俵を焼失」。一帯が、砲弾や銃弾が飛び交う戦場の真っ只中に「驚くべき一話あり」として、次のニュースを伝えている。

写真は、薩軍と官軍が激突した熊本県田原坂付近の民家の土蔵。無数の弾痕が見える(西日本新聞社提供)

薩軍と官軍が激突した熊本県田原坂付近の民家の土蔵。無数の弾痕が見える(西日本新聞社提供)

「官軍が砲撃隊を置いた羽根太八幡宮の前に、美川友吉という商家があった。このごろ自宅を新築したばかりで、周囲の家が焼けてゆくのを見て、このままでは自分の家も焼けてしまうと深く嘆いていた」。

美川友吉さんは、「自分たちで火災を防ぐしかない!」と心に決めて、親子4人、自宅が焼けないように「銃弾飛び交う中を、裏の小川に行っては水を汲み、家に掛け続けて焼失を防いだ」。

家は焼けずに済んだが、戦争が一段落して改めて家を見ると、「家の外はもちろん家の中の戸棚、いろんな道具に至るまで、銃弾の穴だらけ」だった。よくまあ家族の誰にも命中しなかったものだと、「高運の人なり」と呆れている。

田原坂(熊本県植木町)に残る薩軍の大砲(西日本新聞社提供)

田原坂(熊本県植木町)に残る薩軍の大砲(西日本新聞社提供)

戦争以外のニュース

「筑紫新聞」第1号は、全部で10本の記事がある。9本までは「西南戦争」に関する記事だが、「今日は戦争の記事ばかりなので、それ以外の話はないかと探訪者に尋問すれば…」と、1本だけ戦争とは無関係な記事も採録している。

「筑後柳河士族の木下、国盛、源の3人は、自分たちを三池郡大牟田村士族と嘘を帳面に書き込んで博多柳町花楽亭に登楼し、巡査に調べられて、郷官氏名詐称の罪で罰金2円50銭となった」

大変な戦争の最中でも、偽名を使ってでも遊ぶ人々もいたということか。

写真は、田原坂攻防戦の際、官軍の本営となった木葉(熊本県玉名郡玉東町)の高田源七宅跡(西日本新聞社提供)

写真は、田原坂攻防戦の際、官軍の本営となった木葉(熊本県玉名郡玉東町)の高田源七宅跡(西日本新聞社提供)

「筑紫新聞」の取材は、直接取材ではなく、情報を持ち込む人からの伝聞、戦地や現地に出かけたり、戻ってきた人へのインタビューで成り立っていた。

直接、戦場に記者と投入するような態勢もなかった。だが、この小さな新聞が伝えた「西南戦争」の実相は、当時の福岡の人々の状況を、どこよりも生々しく記録している。

そうして、「筑紫新聞」創刊号には、たった10本の記事しかないが、画期的な附録がついていた。それは、どんな附録だったのか。

■筑紫新聞カルトクイズ3■

創刊号についた画期的な附録とは?

(1)カラー印刷の戦場地図

(2)戦場から持ち帰った土

(3)官軍の将軍たちの似顔絵

答えは次回!『西郷どん』最期の戦い4 当時の新聞についていた画期的な附録とは?

<関連記事>

超レア!140年前の福岡の新聞が伝えた『西郷どん』最期の戦い1

『西郷どん』最期の戦い2 政府軍のピンチで登場した「抜刀隊」

『西郷どん』最期の戦い5 反乱軍の蜂起で福岡は騒然

 

※情報は2018.6.13時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

この記事もおすすめ